こんにちわ~Jessicaです。今回はわたしの自粛日記(4月~5月)を皆さんとシェアしたいと思います。
4月4日 土曜 晴れ
外出自粛から73日目。
今日はコロナで亡くなった人たちを悼むため、全国で3分間黙禱が行われた。昼10時、近くの住民センターからアラーム音が鳴り響いた。椅子に座って、窓から外を眺める。いつものように木漏れ日が屋根に映って穏やかな春の朝だ。柔らかい風が木々の幼い緑を揺らしている。草むらの中で野花が美しい色を付けて咲いている。
ふと、携帯の画面を見ると、外の世界とは打って変わって全て白黒画面になっていた。そうだ、今日4月4日はコロナで亡くなった人を喪に服する日だ。無念のままこの世を去った人は安息の地へたどり着けたのかと思うと、涙が出た。そして、ここにいる私はなんとか生き延びたようだ。
4月15日 水曜 曇り
冬休みが始まってからの3か月間を顧みると、コロナの恐ろしさに気づいたのは武漢が封じられ、全国の町が次から次へと緊急事態を出した時だ。外に一歩も出られず、くしゃみをしたらすぐ体温を測らなければならないほどの怖さだ。
二月末、韓国の大邱市で感染が拡大した。
当時、ニュースの動画の中のソウル市民がマスクをつけていないのを目にし、心配になったわたしは「なんでつけていないの?これは普通のインフルエンザじゃないのに」と母に話した。そして、ふと当時の自分のことを思い浮かべた。私もそうだった。自分とは無関係だと思い込み、近くで起きていることに無関心して本当に自己利益に関わるに至って初めて気になる、と。当事者意識は大事だね。そのことがらに自分が直接関わっているという意識を持っているかいないかで、行動が違ってくるから。
5月1日 金曜 晴れ
自粛中、衛生事件についての本を何冊か読んだ。一番印象に残ったのは『チェルノブイリの祈り』だ。1986年の巨大原発事故に遭遇した人々の取材で彼らの悲しみや衝撃を描いた本。2011年日本福島原発事故のときは、ただ、テレビの中の人がかわいそう、住む場所がなくなったと思っていた。今から考えると、その時は完全に他人事だった。しかし、今は違う。『チェルノブイリの祈り』を読んだ後、それに気づいた。汚染した土地の雨は黄色や、緑色になり、先祖代々から受け継いだ住宅や、家族写真、ペット、あらゆるものは永遠に土の中に埋めなければならない。奇形児を恐れた被災地の人は子どもを産めなくなってしまった。そして寿命も短く、被災地から来た子どもはクラスメートから「光るモンスター」と呼ばれた。30年以上前、チェルノブイリ原発に対し、自分には関係ないと思っていた人は少なくなかったのだろう。しかし、1984年4月29日にポーランドやドイツ、4月30日にスイスやイタリヤ北部、5月1日にフランスやオランダ……これらの国で高い放射能が検出された。その後、空に排出された揮発性物質は全世界に拡散し、5月4日までに日本や中国でも検出された。一週間もしないうちに、チェルノブイリは世界的な問題になっていたのだ。今のコロナの状況と同じではないか。この本から得られた教訓は、他人事ではなく、当事者意識を持つということである。
「無窮の彼方、無数の人々は、すべて私とつながっている。」と魯迅は病で死にそうなときに綴った。今は全世界がつながっている。このような現代社会を生きていくには、当事者意識が何よりも大事である。自分に無関係だと言って済む時代は終わったのだ。
5月10日 日曜 竜巻
大学から連絡があった。今学期は戻れなくなった。
時々自分が飛行機のブラックボックスのようだと思う。航空事故が起きた時、ブラックボックスで飛行記録などが分かる。もしかしたら数十年後、「コロナって何?」と孫が私に聞きに来るかもしれない。その時に、私はその恐ろしさだけではなく、当事者意識の大切さを伝えたい。
5月17日 日曜 曇り
早く日常生活に戻りたい。
早く収束しますように。
おやすみなさい。
最後までに読んでいただき、ありがとうございました(???)
絵図:Edward Potthast
音楽:We Are The World - Michael Jackson
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