「授業を邪魔されたくない」「校庭で遊ぶのが嫌になる」-。昨年12月に米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリから窓が落下した宜野湾市の普天間第二小学校(桃原修校長)で行われた米軍機接近による児童の避難。運動場の使用を全面再開した2月13日から3学期修了の3月23日までの期間の児童が登校した28日間に、避難が計216回あったことが同小と沖縄防衛局のまとめで分かった。今月赴任した桃原校長は「覚悟はしていたが予想以上」と同小の置かれた現状に驚く。児童からも困惑した声が相次いだ。
普天間第二小学校の1日の避難回数
運動場での避難は体育の授業中や休み時間、放課後活動中などに行われた。防衛局が配置する監視員の指示の下、ピロティや中庭などへ移動する。避難訓練で算出した各避難場所への平均移動時間は約30秒~1分間。避難解除後に授業を再開するには倍以上の時間がかかっている。
1日の最多避難回数は23回。20回を超える日は2度あった。避難がなかったのは卒業式や修了式など児童が運動場に出る機会のない日と、米軍の休日だった4日間のみだった。
ある男子児童は「授業を米軍機に邪魔されてめっちゃむかつく」と口をとがらせる。女子児童は「休憩時間も遊びが中断しておもしろくない。避難がめんどくさくて、外で遊ぶ数が減った」と話した。
桃原校長は45分間の授業で5回の避難があった報告もあるといい、「2、3回の避難で、授業は成り立たなくなる」と訴える。「早く授業に差し支えのない日常を取り戻したい。だが、現状での避難は必要」と葛藤を抱える。新学期の状況を見て、保護者や宜野湾市教育委員会と今後の対応を検討するという。
市教委の担当者は「正常な環境に戻せるよう対応していきたい」と話した。
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